錬金日記

科学とオカルトの境界線

この世に「本当の愛」があるとしたら、それは「子が親を求める気持ち」かもしれない

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昨日「愛と性は切っても切れない関係があるらしい」ということを記事に書きました。

 

emkei127.hatenablog.com

  

愛とは古今東西の、人類に普遍のテーマの一つで、どうやら「性」、とくにセックスと切っても切れない関係があるということです。

 

しかし一度視点を変えた「愛」についても考えてみたい。というのも、この世には「男と女の愛」だけではなく、「親子愛」「兄弟愛」「隣人愛」などなど「性」とそんなに関係のない愛ももあるんじゃないか、って思うからです。

 

とはいうものの、「愛にはいくつ種類があるんだ」「なにそれ愛とこれそれ愛の違いはなんだ」ということを言いたいんではないんです。

 

...

 

『母という病』という本の中で印象的だった言葉があります。ニュアンスは違うかもしれませんが、たしかこんなようなことが書かれていました。

 

(017)母という病 (ポプラ新書)

(017)母という病 (ポプラ新書)

 

 

それは

 

「もし本当の愛があるとしたら、それは子が親を求める気持ちである」

 

というものです。

 

僕はこの本を読むまで、母が子に与える愛は「無償の愛」で、これを本当の愛と言っていいんじゃないかなと思っていました。西洋の「聖母マリア」のイメージです。

 

しかし、ですよ。母親が、彼女と彼女の周りの大人たちの都合で、子に十分な愛情を与えることができない現実は少なくありません。

 

子にとっては唯一の存在である母親であっても、母親には子の面倒を見る以外にもたくさんのやること、考えることがあります。

 

子は全身全霊で母性を求める。しかし、母親はかならずしもそれに応えられるとは限らない。一人の大人である母親には、いろんな都合があるからです。

 

このように考えると、母が子に与えうる母性、「無償の愛」は実はとても不安定であると言えるかもしれません。できるに越したことはありませんが、「本当の愛」と呼ぶにはいくぶんの危うさを含んでいる、そんなふうに考えることもできそうです。

 

一方、子供にはそんな都合はありません。大人のような打算もありません。純粋に母性を求めます。母親に必死にすがろうとします。

 

 

人は人の役に立つことで幸福感を感じることができる、というのは仏教の教えでしょうか。アドラーのいうところの、「貢献感」に近いかもしれません。

 

というのも、子供の打算のない、純粋に母性を求める気持ちは、幸福感や、その気持ちに応えることによって貢献感を覚えうる、母親にとって何ものにも代えがたい「愛」と言えるのではないか、と思うのです。

 

どうだろう…?

 

愛は母親が子に与えるものではなくて、実は子が母親に与えるものなのかもしれません。もしかしたら、これこそが「本当の愛」なんじゃないかな。

 

もし、母から子に与えるのが本当の愛だとしたら、いろんな不都合からその愛をうまく受け取れないまま成長した人は、大人になって、ついには「本当の愛」を知ることができなくなってしまいます。

 

でもそうではなくて、誰もが愛を持って生まれ、しかもそれをまずはじめに、自分の親に与えることができるもの、それが「本当の愛」と考える方が、とても豊かだと思うのです。

 

親子の愛のお話でした。

 

See you!

 

(017)母という病 (ポプラ新書)

(017)母という病 (ポプラ新書)