錬金日記

科学とオカルトの境界線

「自分がいかにものを知らないか」を知るということ

 

ここ数年、いろんな本を読んできました。

 

量はたいして多くなく、どういう本を読むべきかをかなり考えて、選んで読んできました。

 

そして本を読んでばかりはでだめだと思い、いろんな人にあっていろんな話を聞かせてもらいました。

 

本も対話も、つまるところその人の考えに触れると言うことです。

 

本も人も同じ出会いなのです。

 

嬉しいことに、いいご縁をたくさんいただき、いろんな世界を知りました。

 

たくさんの良質な考え、知恵、知識、経験をいただきました。

 

そんな中僕にもっとも腑に落ちたことといえば、「自分がいかにものを知らないか」ということです。

 

そして「ものごとには限りが無い」と言うことです。

 

ものごとを知れば知るほど、自分の知らないことがこの世には限りなく存在するということに、直面させられます。

 

これは豊かな気づきであると同時に、葛藤でもあります。

 

ものごとをたくさん知ると、世の中の道理が分かったような気になってしまい、なんとなく本を読むのも人と話すのも億劫に感じることが増えます。

 

人々が考えていることや悩んでいること、そしてそんな彼らの人生は、古今東西でたいして変わらないことに気がつきます。

 

現実的にこれは一つの事実なのですが、しかし一方で、僕はどうも傲慢というか、謙虚さに欠けつつあるということを、自覚し続けなければならない思っています。

 

極論を言えば、すべては思い込みなのです。

 

何を知っているか、あるいは知らないのかなどということは、人生においてはたいして意味はありません。

 

ものごとをたくさん知っているからエラいわけでもないし、知らないからダメだというわけでもない。

 

人生において大切なのは、「在り方」であり、生き方 (= 死に方) です。

 

無知の自覚、そしてそれゆえの謙虚さを忘れず、誠実な態度をもって在り方、生き方を実践していかなくてはいけない。

 

さあ、実り多き人生を!

 

See you!

 

死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33 (幻冬舎単行本)